行くも帰るも

 人通りの多い商店街のベンチは、私の昼寝場所だ。こんなところで眠っちゃ風邪をひきますよと声をかけてくれる人もいるが、たいてい、みんな見て見ないふりをする。めんどうなものには関わり合いたくないのだ。
 ゆりこさんは、そんなまちのひとたちの中で一番変わった人だった。ふわりと私の横に座ると、つぶやくように「気持ちよさそうなのでご一緒させてください」と言った。ご一緒も何も、誰が座ってもいいベンチだ。だが、昼間はみんな忙しく、夜はホームレスの集会場になっているので、ここが気持ち良さそうと言ったひとは初めてだった。私は目を閉じたまま、夕方までお天気持ちますかねと尋ねた。ゆりこさんは、「大丈夫ですよ。あのビルの隙間からお日様がこぼれ落ちています」と答えた。

 知らない人と話をするときは、お天気の話が一番、政治や宗教の話をしちゃいけないよと言ったのは、田舎で拝み屋さんをしている祖母だ。
祖母を神さまのように言って集まる人たちは、みんな何かしらの悩みを持っていて、祖母の言葉に一喜一憂して帰っていく。どんなに駄目な卦がでたときでも、必ず最後に希望のある言葉を添えるようにしていると祖母は言っていた。
「みんなわかってるんよ。自分の駄目なところも嫌なところも。嫌なことをわざわざ掘り起こされたくないやろ」
 それじゃ何のためにおばあちゃんのところにくるかわからない。嘘をつくぐらいなら、私は誰とも喋らないと言うと、祖母は「じゃぁ、猫にでもなるしか無いね」と静かに笑った。

 ゆりこさんは、路地裏で小さな喫茶店をしている。ベンチで隣り合わせたときに聞いたわけではなく、出勤途中に見つけて気になっていた喫茶店が、たまたまゆりこさんの喫茶店だったのだ。窓から中を覗くと、丁寧に掃除をし、几帳面に材料を量ってケーキを焼き、お客さんを待っているゆりこさんがいた。
 店は流行っている風ではないが、お客さんが常にひとりふたりいて、ゆりこさんはその人たちのために、慎重な面持ちで珈琲を淹れ、珈琲が苦手なひとには柔らかな甘みの煎茶をすすめる。

 小さい頃から、「まりちゃんは、しっかりしとるけん、男の子に生まれたらよかったのに」と言われ続けた。言葉に棘があるそうで、学校の先生まで私に言い負かされて泣いてしまう。いつだって私は事の首謀格で先頭を走る。けれど、それはまわりの決めたこと。正論を吐き続けながら、いつも震えていた。
 十八になってすぐ、生まれたまちを出た。ひとりで暮らそうと思った。誰も知らないまちでなら、今までの自分は捨てられる。
 けれど、人間の本質なんてそうそう変えられるわけもなく、大学を卒業し就職した会社でも、つい言葉が先に出てしまい「じゃ、あとはまりこさんひとりに任せておけば大丈夫だな」と言われるようになってしまった。人に期待されたり任されたりすることが心地よいひとだと思われている。私が、どんなにつま先立っていたって、誰も助けてはくれない。

「煎茶をいただける」
 路地裏喫茶店に初めて入った日、私はつとめて明るく言った。ゆりこさんは、「はい」とつぶやくように返事をして、ゆっくりと煎茶をいれはじめた。
 ベンチで会いましたねというでもなく、私の身の上をきくでもなく、いつ行ってもゆりこさんは静かに丁寧に注文の品を作る。
「あなたがうらやましいわ」
 私の言葉に、ゆりこさんが顔を上げた。
「誰からも愛されて、無理のない生き方をして、いつもしあわせそう」
 黙って私をみていたゆりこさんは、小さくふっと息をはき、
「行くも帰るも同じですから。どの道を選んでも、結局、同じ所に行き着くと思うんです。私は、昼休みベンチで伸びをしていたあなたを見るのが好きでした。ほかに混じらず、自由でしなやかで」
 私たちは曖昧に微笑み、私はカップを両手で包んでお茶を飲み、ゆりこさんは手元の作業に戻った。

 しばらくすると、カラカラと喫茶店の引き戸が開いた。人の気配はなく、灰色の猫が入ってきた。猫は、一番日当たりの良い席に座ると、寝息を立て始めた。
こころの一番深いところ | 川村さんの恋
掌説 まちの風景
登場人物
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