工房をたずねて

原銅像製作所

工房をたずねて 原銅像製作所

▲銅鐸見本の型

清々しい晴天の空に立つ、雲辺寺の毘沙門天。横浪スカイラインにある武市半平太像や、大磯城山公園の吉田茂像。
四国はもとより全国にある数多くの銅像は、三豊市山本町の「原銅像製作所」から生まています。

讃岐の鋳造文化の歴史は古く、160年代までさかのぼります。銅や鉄の鋳造が盛んだった近江国(滋賀県)から、多くの鋳造師が西讃に移り住んだのがはじまりで、山本町は「鋳造師の里」として知られています。町西部の大辻地区は、江戸時代から「鋳物師辻(いもじつじ)」と呼ばれ、かつては5~7戸の鋳造屋が軒を連ねていました。

その中で鋳造の祖と仰がれているのが「原銅像製作所」の創始者、原 甚太夫正孝です。時代の要請に応え、銅像や梵鐘、半鐘など様々な鋳物を作り出してきた鋳造所は現在、2軒を残すのみとなりました。その1軒である『原銅像製作所』は、主に美術鋳造の伝統技術を今に受け継いでいます。

徳川幕府の時代には、朝廷が鋳物師の登録と座法の強化を目的とした認可制度を施行し、勅許状を持つ鋳物師は「勅許御鋳物師」と呼ばれました。勅許を受けた鋳造所は現在も全国で7軒ほどが残っており、原銅像製作所は三代目と四代目、2枚の勅許状を所蔵しています。

工房では13代原寛山(かんざん)さん、14代息子さんの寛之(ひろゆき)さんが、原型から鋳造、着色、設置までを一貫して行っています。分業が進む業界では、全国的にも珍しい鋳造所です。
鋳造は石膏や砂などで鋳型をとり、炉で1500℃に1時間ほどかけて溶かした金属を、鋳型に流し込みます。「湿気によって常にできが左右されるんですよ」と寛之さん。鋳型から取り出した作品のチェックに余念がありません。その後溶接をして、青銅の場合は薬品で色をつけますが、色のつけ具合でイメージがガラッと変わるのだそうです。

▲香川にゆかりの那須与一や弘法大師の姿も。

大きいものでは10mほどになる銅像の型が大小と並ぶ工房は、まるで時が止まったような不思議な静寂感が漂っています。凛とした佇まいは、展示してある小さな讃岐鋳造品にも共通するところ。
手のひらに収まるサイズの小さな作品は、工房を見学に来られた方へのお土産として作ったのが始まりとのこと。達磨にコイン、阿吽の狛犬。作り手の高い技術と優しい人柄が写だされた、やわらかなフォルム。
小さくともひとつの世界観を感じさせる作品は、置物としてはもちろん、高松市鬼無町の名産品・盆栽と組み合わせて飾る方もいらっしゃるそうです。
「技術を追求するのはもちろん、時代に合ったよいものを作っていき、手に取っていただく方に喜んでいただきたい」と寛之さん。丹精に作られた伝統技術の粋を、手のひらに乗せて感じてみてください。

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