工房をたずねて

工房をたずねて

工房をたずねて

ものづくりが生まれる場所=工房をIKUNASℊスタッフが訪ねました。
職人がものづくりをする姿や、道具を記録し、
工房だからこそ聞ける職人の想いなどをレポートしています。

曽川満里子(讃岐の手まり)

和うるし工房あい(漆器)

谷川木工芸(讃岐桶樽)

原銅像製作所(讃岐鋳造品)

大川原染色本舗(讃岐のり染)

兵頭恵子(丸亀うちわ)

岩部保多織本舗(保多織)

三池(手描き鯉のぼり)

道久桐箱店(桐箱)

乃村玩具(高松張子)

一和堂工芸(香川漆器)

森本建具店(組手障子)

やきもの工房onuma(讃岐装飾瓦)

曽川満里子

工房をたずねて 曽川満里子

讃岐の手まりは江戸時代。主に農閑期の女性の手仕事としてはじまり、今に伝えられている。砂糖、塩とあわせて「讃岐三白」と呼ばれた木綿の糸を草木で染め、伝統的な模様をかがった手まりは、「讃岐かがり手まり」として、1987年香川県伝統的工芸品の指定を受けた。その技法を受け継ぐ伝統工芸士の一人が、三豊市在住の曽川満里子さんだ。

約30年前に手まりと出会った曽川さんが何より魅かれたのは、静かな色をたたえた「糸の美しさ」。当時はまだ技法なども確立されておらず、人伝えや文献を頼りに、手探りでまりを作っていた。「木綿の手触りや染めた時の色が時間とともに変化していく様を見るのが好き」と曽川さん。同じ材料を使っても育った環境や季節、干した時の温度、湿度により糸は全て違う表情に染まり、ゆっくりと色を変えていく。その様子を「糸が居場所を見つけて落ち着いていく」と、曽川さんは表現する。

手まりの作り方はとてもシンプル。もみ殻を和紙で包んだ芯に、木綿糸をぐるぐると巻いて、土台のまりを作る。その上に「柱」と呼ばれる基本線を糸で引き、描きたい模様に沿ってかがっていく。まんまるに糸を巻く作業だけでも難しそうだが、「1本ずつ違う角度に巻いていったら自然と球体になる。人の手ってそうなるようにできてるのよ」と、曽川さんは笑う。基本の模様は菊かがりや升かがり、麻の葉など古典的な柄を中心に十数種類。同じ模様でも糸の選び方や組み合わせで、十人十色の手まりになるという。

手まりと真摯に向き合ううち、新たな縁に恵まれた。近所の気の合った仲間と共同で糸を染めるようになり、展示会を開くと少しずつ注文が入るようになった。明るい色の糸や、新柄にも挑戦した。桜や鶴、藍の手まりなど、日本的なモチーフは海外へのお土産としても喜ばれている。

2009年、伝統工芸士に認定されてからは、讃岐の手まりを伝える活動にも取り組み、地元の小・中学校で講座を受け持っている。「子どもは自分の中から欲しい色をサッと選ぶ。時には大人が想像できないような組み合わせもあって楽しいですよ」。IKUNAS g (イクナスギャラリー)でも手まりのワークショップを開いている(※2020年10月より当面の間休止)。
「手まりを通じて自分の居場所を見つけてほしいと思っています。かつての私がそうだったように」。

手まりとめぐり合い、表現することの喜びを知った曽川さんは、今日もまるい心で手まりと向き合う。次はどこへ転がっていくのだろう。それはたぶん「まりが転がりたいところへ」だ。

原銅像製作所

工房をたずねて 原銅像製作所

▲銅鐸見本の型

清々しい晴天の空に立つ、雲辺寺の毘沙門天。横浪スカイラインにある武市半平太像や、大磯城山公園の吉田茂像。
四国はもとより全国にある数多くの銅像は、三豊市山本町の「原銅像製作所」から生まています。

讃岐の鋳造文化の歴史は古く、160年代までさかのぼります。銅や鉄の鋳造が盛んだった近江国(滋賀県)から、多くの鋳造師が西讃に移り住んだのがはじまりで、山本町は「鋳造師の里」として知られています。町西部の大辻地区は、江戸時代から「鋳物師辻(いもじつじ)」と呼ばれ、かつては5~7戸の鋳造屋が軒を連ねていました。

その中で鋳造の祖と仰がれているのが「原銅像製作所」の創始者、原 甚太夫正孝です。時代の要請に応え、銅像や梵鐘、半鐘など様々な鋳物を作り出してきた鋳造所は現在、2軒を残すのみとなりました。その1軒である『原銅像製作所』は、主に美術鋳造の伝統技術を今に受け継いでいます。

徳川幕府の時代には、朝廷が鋳物師の登録と座法の強化を目的とした認可制度を施行し、勅許状を持つ鋳物師は「勅許御鋳物師」と呼ばれました。勅許を受けた鋳造所は現在も全国で7軒ほどが残っており、原銅像製作所は三代目と四代目、2枚の勅許状を所蔵しています。

工房では13代原寛山(かんざん)さん、14代息子さんの寛之(ひろゆき)さんが、原型から鋳造、着色、設置までを一貫して行っています。分業が進む業界では、全国的にも珍しい鋳造所です。
鋳造は石膏や砂などで鋳型をとり、炉で1500℃に1時間ほどかけて溶かした金属を、鋳型に流し込みます。「湿気によって常にできが左右されるんですよ」と寛之さん。鋳型から取り出した作品のチェックに余念がありません。その後溶接をして、青銅の場合は薬品で色をつけますが、色のつけ具合でイメージがガラッと変わるのだそうです。

▲香川にゆかりの那須与一や弘法大師の姿も。

大きいものでは10mほどになる銅像の型が大小と並ぶ工房は、まるで時が止まったような不思議な静寂感が漂っています。凛とした佇まいは、展示してある小さな讃岐鋳造品にも共通するところ。
手のひらに収まるサイズの小さな作品は、工房を見学に来られた方へのお土産として作ったのが始まりとのこと。達磨にコイン、阿吽の狛犬。作り手の高い技術と優しい人柄が写だされた、やわらかなフォルム。
小さくともひとつの世界観を感じさせる作品は、置物としてはもちろん、高松市鬼無町の名産品・盆栽と組み合わせて飾る方もいらっしゃるそうです。
「技術を追求するのはもちろん、時代に合ったよいものを作っていき、手に取っていただく方に喜んでいただきたい」と寛之さん。丹精に作られた伝統技術の粋を、手のひらに乗せて感じてみてください。

大川原染色本舗

工房をたずねて 大川原染色本舗

200年以上の歴史を持つ香川県の伝統的工芸品「讃岐のり染」。
その技法を受け継ぐ大川原染色本舗(高松市)は、獅子舞の油単(ゆたん)、大漁旗、結婚や誕生の祝い旗など、古きよき文化を継承し、今に伝えてきました。現在でも暖簾や壁掛け、ハッピ、横断幕など、暮らしの中の「ハレの日」を色鮮やかに彩っています。
日常や「間」を仕切る―。1枚の布を通じて人と人、場所と場所、時間と時間がゆるやかにつながる様には、何とも日本的な風情があります。

「讃岐のり染」の起源については定かではありませんが、江戸時代には高松城下にたくさんの染物屋が軒を連ねていたそうです。「のり染」は、うるち米に塩や石灰を混ぜてつくる「のり」を布に置くことで染まらなくするという技法で、現在7代目の大川原誠人さんが、その技術を受け継いでいます。
 色をつけない部分にのりを置く作業を「のり置き」といい、切り抜き型の筒に穴をのりを置く方法と、ケーキのクリームのようにのりを搾り出す「筒」という技法があります。「讃岐のり染」は「筒」を使うのが特徴で、絹地に花鳥風月や勇壮な戦国武将などが描かれた豪華絢爛な油単は香川ならではのものです。

讃岐のり染の工程

京都の大学で芸術を学び、1997年に家業を継いだ誠人さんは、伝統を受け継ぐ一方で、自身の「表現」としてのアート作品や、現代の暮らしに合うモノづくりにも挑戦しています。2011年からは香川の地場産業と異業種コラボを行う「讃岐ざんまい」に参加し、新たなブランド展開も行っています。華やかな牡丹やドット柄に染めた布を使ったトートバッグ(tote)や小風呂敷(tutumu)、タペストリー(ten ten kake)など、どの作品もモダンながらどこか懐かしい雰囲気。洋にも和にもなじみながら、持つ人の個性を引き出してくれます。ハレの日にも日常にも、独特の存在感を放つ「のり染め」の魅力。歴代の創意工夫が生み出した染物は、讃岐の民俗や風習、時代の空気感を如実に映し出しています。

兵頭恵子

工房をたずねて 兵頭恵子

夏の風物詩、うちわ。ふうわりひと扇ぎすると、心地いい涼を感じさせてくれます。
全国シェアの9割を誇る丸亀うちわは江戸時代、こんぴら参りの土産物として始まり、地場産業に発展。
1997年に国の伝統的工芸品に指定されました。竹から1本のうちわができるまでには47の工程があり、2~3週間もの時間がかかます。竹、木綿糸、和紙など自然の素材を使い、職人の手で1本1本作られる丸亀うちわは、持ちやすくてほどよくしなり、やわらかい風を運んでくれます。
 そんな丸亀うちわに魅せられた兵頭恵子さんは、50歳を前に後継者育成事業の7期生に応募し、職人の道へ入りました。小柄な体で竹を割ったり削ったり。自宅作業のほか、丸亀市の「うちわの港ミュージアム」でも実演を行っています。

丸亀うちわができるまで

うちわ作りに使うのは、県内産の真竹。一定の幅に割り、内側の節を削った竹を「切り込み機」で穂先から10cmくらい切り込みを入れ、同じ感覚で裂いていきます。
その後、節に弓竹を通して「穂骨」を糸で編んでいく「付」(つけ)という作業へ。兵頭さんは「ここが一番の難しいところ。竹を扱うのに力は必要だけど、力だけじゃだめ。ちょっとしたコツがいるんよ」と、器用に糸を交差させながら、編み進めていきます。専用の道具を使って網目を整えながら広げていくと、だんだんとうちわらしい形になっていきます。「骨」ができたらのりをつけて紙や布を貼り、余分なところを切り落とし、周囲にへり紙と耳を貼って、ようやく完成となります。

兵頭さんは伝統的な丸亀うちわのほか、オリジナルの創作うちわにも取り組んでいます。
鞄に入れて持ち歩ける、友禅和紙を貼ったミニうちわ(収納袋付き)や、握力の弱い人が持ちやすいよう、ストッパーをつけた「楽竹うちわ」など、女性ならではの細やかな感性が光る新作が、次々と生まれています。

「何本作ってもまだ、最高と思えるものは作れていない」と話す兵頭さんは、新たな挑戦として2013年、夏場だけではなく通年使える「サヌキモノウチワ」を発表しました。高松市在住のイラストレーター、オビカカズミさんとのコラボレーションで生まれたうちわは、お相撲さんや鯛、松など香川にちなんだイラストが描かれた阿波和紙を使っています。カタチも遊び心がいっぱいで、扇いでも飾っても絵になるので、贈り物としても喜ばれそうです。「なるべく使い勝手がいいようにと、いつも考えています。長くやっていると足も腰も痛むけど、好きなことだから仕方がない」と、はにかむように笑う兵頭さんは、職人になって11回目の夏を迎えます。手には小さな傷やマメが絶えず、削った竹で洋服が汚れても「丁寧に、丁寧に」仕事をする兵頭さんを見ていると、うちわ作りへの静かな情熱が伝わってきます。高知の土佐和紙や香川の保多織など、様々な素材を使っての創作にも取り組んでおり、今後の展開がますます楽しみです。

岩部保多織本舗

工房をたずねて 岩部保多織本舗

多年を保つ、と書いて「ぼたおり」と読む。丈夫なことで知られる讃岐の織物「保多織」は、江戸時代から伝わる県の伝統的工芸品。
気持ちのいい肌ざわりと、保湿性や吸水性に富んださらりとした質感。木綿の糸が織り成す、素朴な風合いが魅力です。かつては幕府への献上品として作られ、明治維新後は地場産業として発展。現在は県内で唯一の織元となった高松市の「岩部保多織本舗」が、その伝統を受け継いでいます。
4代目の岩部卓雄さんは、県認定の伝統工芸士。使いこんだ織り機に座り、カタンコタンと小気味いいリズムを奏でながら、次々と新しい布を生み出しています。

「一般に平織りというのはね、縦横の糸を1本ずつ交互に織るんだけれど、保多織はこの4本目の糸を浮かせるのね…ほら、こんなふうに」と分かりやすく指を使って説明してくれました。
糸を浮かせることで生まれるわずかな隙間。これが「保多織」のワッフル感の秘密。隙間に空気が入ることで夏はさらりと、冬はあまり冷たさを感じさせない、独特の肌ざわりが生まれるのです。

丁寧に織られた布はシーツなどの寝具、洋服や小物となり、店内をはじめ土産物店のほか、全国の百貨店の催しなどで販売されています。「保多織をもっと広く知って使ってもらいたい」(卓雄さん)との思いから、色や柄も実に豊富。最近は好みのデザインでのイージーオーダーも手がけており、着るほどになじむ風合いにリピーターも多いとか。

店内には織地見本やゆかたの反物もずらり。大きな裁断テーブルや、足踏みミシンもあり、昔ながらの「ものづくりの風景」を垣間見ることができます。ゆったりとした空気感も一緒に織り込まれているような、讃岐の織物「保多織」。蒸し暑いこれからの季節、自分へのご褒美や贈り物としても、喜ばれそうです。

三池

工房をたずねて 三池

屋根よ~り~高い鯉のぼり~♪
と歌われた五月の風物詩、鯉のぼりも最近は少子化や住宅事情の変化で、ずいぶんと変化しています。香川県坂出市はその昔、「日本一の鯉のぼり生産地」として知られていました。昭和30年ごろまでは和紙で作られており、土産物として外国への輸出も盛んだったとか。『手描き鯉のぼり・三池』は、その歴史を唯一受け継ぐ製造元。先代の山下信一さんの跡を継ぎ現在、娘婿である三池誠一郎さん(72歳)が制作されています。
 昭和40年代からナイロンプリントによる鯉のぼりが主流になり、和紙の鯉のぼりは全国的にも稀少になりました。「55の手習い」で鯉のぼり作りを始めた三池さんは、「義父の姿を見ているうちに、伝統を絶やすのはもったいない」という気持ちになり、弟子入りを決めたそうです。和紙の弱点は雨。ならば室内でも元気に泳ぐ鯉のぼりを作ろうと、玄関や床の間などに飾れる、小さなサイズの手描き鯉のぼりを考案しました。

最も小さな「ミニミニサイズ」の3匹セットで高さ25cmほど。手のひらにすっぽり収まる大きさの鯉のぼりはかわいらしく、手描きならではのぬくもりが感じられます。青やオレンジを加えた5匹セットや、天井から吊るしたり壁に貼って楽しむ45cmの鯉のぼりもあり、飾るスペースに合わせて選べます。
 三池さんは毎年、2月くらいから制作に取り掛かります。和紙を切って貼り合わせ、そこに鉛筆で下絵を書き、筆やアクリル絵の具で彩色していきます。迷いなく描く線は勢いがあり、最後に目を入れると、まるで鯉に生命が宿ったようです。

鯉のぼりの起源は諸説ありますが、江戸時代、武士の家に男子が生まれると、軒先に旗のぼりを上げたことが始まりとされています。それを見た庶民が立身出世の象徴だった「鯉」を軒先に上げたのだとか。今も昔も、子どもを思う親の気持ちは同じ。「手描き鯉のぼり」の伝統を守りながらも、気がかりなのはこれからのこと。三池さんの跡を継ぐ人は、残念ながら見つかっていないのです。「誰かやってくれる人がおればな」とポツリ。
 五月の節句はもうすぐ。讃岐の伝統工芸を、何とか後世に伝承していきたいものです。

道久桐箱店

工房をたずねて 道久桐箱店

約90年続く店を今はひとりで守る、香川の伝統工芸士が作る桐箱は、温かみがあり他の木にはない独特な風合いが魅力です。
桐箱は、木目が美しく光沢があり軽く、その中に入れたものを湿気から守るという特徴があるため、たいへん重宝されています。

桐は幹の中心に空洞があり、大きな材料が取れないので、数枚の板を張り合わせて、それを箱に仕立てます。切り口は間近で見ても境目がわからない程ぴったりと合っています。
全て手作りで、組み立てに使う釘も1本ずつ丁寧に、つげの木で作られています。

つげの木とつげから作った木釘。

桐は幹の中心に空洞があり、大きな材料が取れないので、数枚の板を張り合わせて、それを箱に仕立てます。切り口は間近で見ても境目がわからない程ぴったりと合っています。
全て手作りで、組み立てに使う釘も1本ずつ丁寧に、つげの木で作られています。

10年前に作られた味わい深い小さなタンスです。引き出しの奥に隠し場所を作るなど仕掛けがあります。軽くて柔らかい桐を使って組み立てられた製品は、作りの緻密さと温かみのある品の良い仕上がりが特徴となっています。

あなたも、大切なものを納めてみませんか。
精巧な仕上げをした桐ダンスは、100年は保つと言われています。

小さなものからでも、オーダーができます。

2週間から1ヶ月あまりで出来上がります。

乃村玩具

工房をたずねて 乃村玩具

トラ、鯛戎、牛乗り天神…。
張子は全国どこにでもある郷土玩具ですが、高松の張子には「奉公さん」という女の子の張子があります。赤い着物姿で、にっこり微笑んだ女の子は「おマキさん」とも呼ばれています。このおマキさんには「奉公さん」と言われるだけの由縁がありました。
昔、生駒の殿様時代、お姫さまのおそば仕えに、おマキという少女がいました。ある時、お姫さまが重い病にかかってしまいます。おマキは苦しむ様子を見かねて、その病気を自分に移して、身代わりとなることを申し出ます。おマキはひたすらお姫さまの病気が治るよう祈りながら、病気のお姫さまの隣で一晩眠り、その後離れ島に流し人となりました…。それからまもなく、祈りが通じたのか、不思議とお姫さまの病気が治ります。すっかり元気になったお姫さまを見て、人々はおマキの死を悼み、献身的な行いを誉めたたえました。お姫さまの命を救ったおマキは「奉公さん」と呼ばれるようになり、おマキを思って作られた人形を「奉公さん」と名付けたそうです。

そんな言い伝えから、子供が病にかかると奉公さんを抱かせて身代わりにしたり、子供のお守りにする風習が生まれました。
「奉公さんの目もとがほんのり赤いのは、病気による熱を表しているんですよ」
そう教えてくれたのは、張子職人の乃村さんです。
乃村さんの自宅兼工房は、瓦町の裏通りにあります。お父さまが張子の職人だったことがきっかけで、この仕事に携わるようになったとのこと。
「私は、まだまだ張子を作り始めたばかり。昔の型や模様を守りながら、もっといろいろなものを作って、張子の良さを伝えていきたいと思っています」
張子は作る人によって顔の表情や形、着物の模様が微妙に違います。乃村さんの張子はお父さまから受け継いだものなのだそう。
見せていただいた型の中には、数十年の歴史が詰まってるようでした。
「最近では新しい試みとして、干支をモチーフにした張子を作るようになりました。そんな中で、張子の魅力に気付いてくださる方と出会うことも増え、一層仕事に張り合いが生まれました。ワークショップなどで絵付け体験などをしていると、皆さんの感性に刺激を受けたり、新しい発見があって面白いものがあります」
そんな乃村さんは、新しいものを生み出すと同時に、消えかけているものを復活させたいと考えています。
例えば、昔から高松に伝わる玩具「振槌(ふりつち)」などは、現在試作が続けられているようです。
かわいいだけではなく、少し素朴で味がある張子…。
郷土玩具は、その土地に住んでいる人々の大切なもの。そこに込められた願いや、つくり人の思いを知ると、一層大切にしたいという気持ちが強くなりました。

一和堂工芸

工房をたずねて 一和堂工芸

寛永15年、水戸から松平頼重公がやって来ました。
なんとこの方、徳川家康の孫で水戸のご老公のお兄さんです。
頼重公は、お茶や花を愛する雅びなお方でしたが、漆器や織物、彫刻などにも力を入れていました。現在も残る、伝統的工芸品の「保多織」「欄間彫刻」などは、そうした奨励があったからです。中でも漆は香川を代表する伝統工芸へと成長し、多くの名工が育っていきました。
その中のひとり、玉楮象谷(たまかじぞうこく)は、松平家三代の藩主に使えた名工で、漆芸の祖と言われています。蒟醤(きんま)、存清(ぞんせい)、彫漆(ちょうしつ)などを研究し、たくさんの素晴らしい作品を残しました。また、高松藩士、後藤太平は「後藤塗」と言われる技法を発案します。
このようにしてさぬきに根付いた漆の技法「蒟醤、存清、彫漆、象谷塗、後藤塗」は、四国で初めて、国の伝統的工芸品に指定されたのでした。

創業90余年の「一和堂工芸」さんは、普段の生活にも取り入れてほしいという思いから、漆の「入門偏」となるような、手軽な漆器を作り続けています。
「今は核家族が一般化して、漆とは縁の遠い生活になりました。でも本当は若い方にこそ使っていただきたいんです」
例えば、お盆はサンドイッチなどを乗せるランチプレートに。カップ類も大きさに合わせて、カフェオレボールや花入れとしても使えますし、デザートなどを入れる器にも変身します。商品名にとらわれることなく、もっと簡単に、自由に生活に使えると教えていただきました。また、漆の扱い方も昔よりも随分簡単になりました。
「昔は、何度もお湯に潜らせて汚れを落とさなければいけませんでしたが、今は質の良い洗剤もありますので、他の洗い物と同じように洗っても大丈夫です。水につけっぱなしにしない。食器洗浄器に入れない。など、最低限の注意さえしていれば、漆はとても扱いやすいものなんです」
そしてさらに嬉しいことに、漆は何度でも塗り直しができるのです。
「おばあちゃんが使っていた古い家具を、お孫さんが塗り直しにいらっしゃることもあります。確かに漆は高価なものですが、長く大事にできる利点もありますし、またそういう高価なものだと、大切に扱うようにもなるのです。私たちはそうした人を育てていきたいと思っているんです」
片手カップやマドラーなどの商品は、漆の初心者の方にも取り入れやすいものとして誕生したのだそうです。伝統の技術はそのまま守りながら、変化を受け入れ、現代にも取り入れやすいものを生み出していくことが、工芸品を残していくことにつながるような気がします。そうした思いが詰まっている一和堂さんの漆は、とても使い勝手の良い本物ばかりでした。

▲戦時中、兵士が食器として使っていた腕。竹で編んだものに、漆を塗り重ねています。60年以上前には、金属の使用が制限される中、こうした発注もあったそう。写真はその当時のものです。

象谷塗(ぞうこくぬり)

象谷塗の特徴は、漆を塗り重ねた上に「まこも※」の中に入っている粒子の細かい粉末「菰(こも)」を撒いて塗るため、マットな質感に仕上がることにあります。削り跡を残した木地などに使用すると、渋みのある力強い印象になります。古くから茶托や丸盆などに多く取り入れられてきました。
※まこも(真菰)とは、水辺に群生している植物のことです。古くはマコモズミと呼ばれ、お歯黒や眉墨などに使用されていました。

まず始めに、木地に漆を摺り込みます。この作業は一番キツい仕事ですが、その後のできばえを決めるとても大切な工程です。一和堂さんでは、硬い馬のたてがみを使った刷毛を使用する、昔からの方法を今も続けているそう。その後、何度も摺込みと磨きを加えて下地が完了します。そして、菰(こも)を漆の上に撒き、余分な菰を拭き取った後、艶付けします。そうすると、マットな部分と艶のある部分が表れます。
使うほどに渋みの増す、力強い「象谷塗」の完成となります。
※全15工程です。

漆を塗る台は、漆が塗り重なって変形しています。道具にも歴史を感じます。中央は、石で重しをした丸盆。歪みをとるためです。右は、乾燥待ちの漆です。湿度60%、気温20℃が最適の環境です。少し蒸し暑いですね。

漆の木。漆の幹に傷をつけ、そこから滴り落ちる乳白色の樹液が漆になります。樹液は木が傷を癒そうとしているものなのだそう。昔は四国内でも採取できたそうですが、現在は全国でもごく限られた地域になっています。

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